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毎週火曜 午後9:54~10:00

3月29日(火)

ゲスト

タカアンドトシ

タカアンドトシ

タカとトシが中学2年生の時にコンビを結成。高校を卒業後、吉本興業札幌事務所のオーディションに合格しプロデビューを果たす。2002年、活動の拠点を北海道から東京に移すと、「欧米かっ!」というツッコミで一躍人気者となる。その後、「M-1グランプリ」や「爆笑オンエアバトル」など様々な活躍を見せ、ブレイクを果たした。

1990年
中学2年生の時にコンビを結成
1995年
お笑い芸人としてデビュー
2004年
M-1グランプリで4位に輝く
2008年
第8回 ビートたけしのエンターテインメント賞・日本芸能大賞を受賞

内容

あなたにとって思い出の味は?

中国料理 布袋の「マーボー飯」と「ザンギ」

くすぶっていた時代に食べていた
中国料理 布袋の「マーボー飯」と「ザンギ」

ロケで行ったお店

中国料理 布袋

中国料理 布袋

北海道札幌市中央区南1条西9
TEL:011-272-4050

北海道札幌市中央区にある中国料理 布袋は、幅広い客層のお客さんで賑わう地元でも人気があるお店です。タカアンドトシさんの思い出の味「マーボー飯」は、食べた瞬間の甘辛さと少し後にくるピリっとした辛味が後味をひく逸品です。また、「ザンギ」は、鶏肉を三度揚げする事で外はカリカリ、中はジューシーに仕上がっており、オリジナルのネギ入り甘酢ダレをかけていただく布袋の人気メニューです。

O.Aに入らなかったエピソード

「僕らの原点」

――思い出の詰まった布袋の「マーボー飯」と「ザンギ」
トシ:我々にとって中国料理 布袋は、たまに贅沢というか、そういう感じで行っていました。そんなに高いという訳じゃないですけど当時は、本当にお金が無かったので。
タカ:そうだね。お金持っている時だけ、だから凄く覚えているんです。
トシ:お店の雰囲気も昔から変わってないですね。こんなに変わらないかってくらい。
タカ:俺らがよく行っていたのって15、6年くらい前だと思うんですけど、その時からこんな感じだったからね。店構えが変わらないのは嬉しい。
トシ:当時は、この布袋さんの近くに「札幌よしもと」がありまして、ライブや打ち合わせの合間に行って、英気を養ってましたね。
タカ:そう、大体ネタを考えていて息詰まったら「メシにする?」みたいな感じで。
トシ:我々の思い出の味は、マーボー飯とザンギで布袋さんに行ったら必ず食べる定番メニューですね。マーボー飯は、食べてちょっとした後にくる辛味が特徴です。
タカ:東京に出て行っても他のマーボー飯は、頼まないもん。絶対にここのマーボー飯 を越えられないと思うから、ここでしか食べない。
トシ:そして巨大なザンギ。
タカ:このデカさないからね。今まで普通に食べてきた唐揚げとは階級が違う。
トシ:大きさもあって、外はカリッカリ、中はジューシーですから。
タカ:今考えると、こんなに美味しい物を食べていたなんて贅沢だった。
トシ:15年も経つと、こっちの舌が変わることもあるじゃないですか?いろんな美味しい物を食べさせて貰って。だけど、変わっていなくて安心しました。あの頃に食べていた味と同じで変わらず美味しい。
タカ:本当に思い出の詰まった味です。
トシ:やっぱり、札幌でくすぶっていた時代を思い出しますね。
タカ:当時は、仕事もまったく無くて、とにかくネタを作る事しか考えてなくて。売れてやろうなんて事も全く考えられない、そんな時代でした。でも、こうやって何とかテレビに出させて貰えるようになって、今改めて食べると、より一層美味しく感じますね。
トシ:確かに。辛い時代に食べていたというのが調味料になっているんじゃないですかね。

――北海道での下積み時代、そして挫折
トシ:当時は、北海道で芸人を始め7年間「札幌よしもと」でやっていたんですけど、最初こそ華々しく「札幌よしもと」最初(1期生)の芸人みたいな感じで、新聞にも載せて頂いたんです。
タカ:やっぱり当時は、北海道で芸人っていうのが物珍しかったんですよね。文化が無かったから。だから最初は色々なテレビ局も注目してくれて仕事もバンバン入ってきて。でもどんどん実力の無さがバレていきましたね。
トシ:3年目くらいまでは良い感じだったんですけど、そっからは…。
タカ:テレビとかラジオの仕事が無くなって、だから自分たちでやるしかないんです。ライブだけは出来るから単独ライブをとにかく2ヶ月に1回はやろうって言って、漫才3本、コント5本くらい毎日考えてチケット売りもして、そういう生活でしたね。
トシ:事務所でネタ合わせしては、外でチケット売りして。
タカ:でも、寒いからチケット売れないんですよ。100枚ぐらい売らないと話にならないんですけれど…。連日売る訳です「おねがいします」って言いながら。もちろん断られまくりますけど、極寒の中でそのチケット売りを4時間ぐらいしていました。
トシ:仕事もなくて、僕らの中で一番厳しい時代でしたね。
タカ:僕が札幌の下積み時代で1番、辛かったのが、吉本興業の何組かでユニットを作るというオーディションが東京であったんですけど、勉強でついてきた後輩の方がウケてしまって、僕らより先に東京に行ってしまった事です。東京に呼ばれるような形で行くというのが当時の僕らの目標だったので、その時は凄く悔しかったですね。それで、髪の毛の色を変えたり髭伸ばしたり、カラオケで喉を潰したり、ダイエットしたりとか仕事とは全く違う方向に逃げていました。初めて味わった挫折でしたね。でも、こいつは(トシは)ひょうひょうとしてる訳ですよ。
トシ:そこで、ふて腐れようが状況は変わらないので、まずネタをしっかり作るしかないなとは思ってましたね。まさにこいつが反面教師ですから。分かりやすいくらい荒れてるのを見る度に、こっちが逆にしっかりして足元を固めないとなっていう事を思ってました。
タカ:やっぱ性格なんですかね、俺が荒れた時はしっかりしなきゃっていう。
トシ:ジタバタするんですよ、こいつは。
タカ:もがき苦しむんです。ずっと小っちゃい頃からサッカーをやっていて、負けたりしたら凄い悔しくて、人目もはばからず泣いたり悔しさを出すタイプだったんで。だから、コンビとしては、冷静な相方がいたから良かったのかなっていうのはあります。

――東京で勝負しなきゃ終われない
タカ:東京に出ていく前は、仕事も本当に無くなってきて、このまま続けるのは厳しいぞ、もしダメだったら次の人生を考えないと手遅れになるなと思って、僕は芸人を辞めるきっかけを作りに、踏ん切りを付けるためにチャレンジしようっていう気持ちで行きましたね。
トシ:東京に行きたかったというよりは、行くと決めていました。東京で勝負しなきゃ終われないという感じだったんですよね。このまま札幌で終わるのは違うなと、東京でやるのが最終目標でしたから。でも、行ったところで仕事がある訳でもなかったですし、ルミネの劇場の出番はあげるって言われていたんですけど、その出番もウケなかったら無くなりますから。だから、希望に満ちて行ったという記憶がないですね。
タカ:もうとにかく不安だらけです。お笑いを辞めるか続けるか、ダメだったら辞めなきゃいけない、人生の決断をするためだけに行ってますから希望っていうのは無かったですね。上京したのは2002年です。最初の1ヶ月間は全く仕事が無くて、劇場がどんな 感じなのかルミネに見学に行きました。その頃、ちょうどお笑いブームだったんですけど、初めてルミネへ見に行った時、キングコングが漫才やっていて、お客さんが立ち見をする程いて「キャー」とか言って。凄い舞台だと思いましたね。ここに俺らが出られるのかなって思ったのを今でも鮮明に覚えています。
トシ:最初からウケるという期待は無かったです。まず自己紹介から入って、こっちがタカでこっちがトシでみたい事をずっとやってました。出てきて「キャー」って言われるのは、僕らとは別世界の話だと思ってましたね。若手のライブが「5じ6じ」っていうライブで、もう目の前の舞台で笑いを取るしかないですから、北海道でくすぶっていた時代に作ったネタを少しずつやっていきました。それで徐々にウケていったんで、ネタ作りの方向は間違っていなかったんだなとは思いました。東京でもしっかりちゃんとやればウケるなと、手応えをちょっとずつ掴んでいった感じでした。
タカ:最初、仕事を貰えるのは「5じ6じ」だけで、そこで笑いを取ったら「7じ9じ」っていう、要はテレビに出演するような人気者が出られる舞台にちょっとだけ時間を貰える。そこで、また認められて徐々に「7じ9じ」に出られるようになっていきました。
トシ:本当に徐々に評価されていったというか、先輩の芸人さんが僕らの舞台を見てくれて「あの人も見て笑っていた」って聞いたり、劇場の支配人も面白いと言ってくれたり、色んな方に評価をして貰ったという嬉しさが凄くありましたね。今になってみると僕らにとって、上京するのにはあのタイミングが1番良かったのかもしれないと思っています。
タカ:早く行き過ぎても東京で潰されていたかもしれないし、僕らにはあのペースが合ってたんだと思います。
トシ:今でも布袋に行っていた、くすぶっていた頃に作っていたネタを舞台とかでもやってますからね。北海道の下積み時代は、苦しい思い出の方が多かったけど、でも、それが無かったら今こうやってテレビに出させて貰う事も無かったと思いますね。
タカ:最初の掴みのネタとか、東京でも北海道の下積み時代に作ったネタを一番やっていますね。だから、全部無駄じゃないんだなっていう、挫折も成功の糧になっていたんだって思えるようになりました。
トシ:あの時代は、タカアンドトシにとって絶対に必要な7年間でしたね。

タカアンドトシの「あの日あの味」とは?

ネタを作り続けた下積み時代を思い出す。

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